魅惑の扇風機
 
10Kとか急に言われて、皆さんなんのことだかおわかりになるでしょうか。Kはキロという単位、つまり1Kは1000なので、10Kということは10000で正解なんですが、何故かギャンブラーが好んで使います。つまりギャンブラーが言うところの10Kとは1万円です。しかしどうしてわざわざこんな面倒くさい表現をするのでしょうか。

1万なら1万、2万なら2万。これでいいじゃないですか。Kという単位をわざわざ導入しなくとも、非常にわかりやすい。別に通貨単位がスリジャヤワルダナプラコッテとか、スリランカの首都みたいに長いわけでもありませんし、Kを導入した途端に市場が活発になり株価が上がるわけでもない。あまりメリットがあるようには思えませんし、むしろわかりにくいです。

調べればそれなりの結論は出るとは思うんですが、個人的にはこう考えます。隠語とか俗語、そもそもは仲間内だけで使用していた言葉なんじゃないでしょうか。ネコがニャーニャーと会話するように、犬がワンワンと会話するように、ギャンブラーはケーケーと会話するのです。ギャンブラーという人種、私もその端っこに位置しているわけですが、一種独特の連帯感というか、共存意識に似たものを持っています。「おれたちはおまえたちとは違うんだ。勝負は財布が空になってからだ」とか「おれたちはおまえたちとは違うんだ。負けてる額じゃ負けないぞ」とか。確かに大幅にやられた時の恍惚感は特別なものはあるんですが、まぁこんな感じの明らかに間違った美意識は共通して持っています。ですからこういうものを共有するために、わざわざKなどというお金の数え方をするのではないでしょうか。

もうひとつギャンブラーに共通した特異性というものがあります。例えばその日、50Kやられたとします。ええ、5万です。5万という常識的に考えての大金をいとも簡単に溶かしてしまうわけですが、不思議なことに5万が財布から溶けたという感覚はあまりないのです。しかしそれとは違った感覚がまたあります。ではどのような感覚なのでしょうか。「5万か、・・エアコン買えたな」こんな感じです。これが2万だとします。「2万か、・・テレビ買えたな」こんな感じです。不思議なんですよね、何故か家電換算してしまうんです。本質的に、負けても次に勝って取り返せば問題ないなどと思っているので、結局現金の出入りが問題なはずなのに、途中経過で溶かした現金がまるで現金でないような錯覚に陥ってしまうことが多々あります。そのせいかと思うんですが、現実に戻るために身近な家電で考えるのではないでしょうか。ですから勝ったからといってヨドバシカメラに並ぶというわけではありません。しかし部屋から家電がひとつ消えてしまったような、そんな寂しさを覚えます。

ところで私、去年も一昨年も一昨々年も、エアコン買う機会を逃しています。なので今年こそはエアコンを導入したいと考えているわけなのですが、あろうことか先日に無職になりました。

※このページでは、小遣い以上の金額を賭け事に使う人をギャンブラーと呼んでいます。
 
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