死霊のテキスト
 
世の中にはけったいな職業というものがあります。そもそも法的には労働者か否かという区切りがあるだけの話で、職業なんてものは名乗った者勝ちというか、それが市民権を得れば「私の職業は○○です」と名乗れるわけです。がしかし、市民権を得ているにも関わらずにおかしな職業に思えてならないものがあります。評論家、批評家、解説者。これは相当けったいな職業だと思います。だからといって「これはおかしい職業だ」と言っている私の意見がそもそも評論とか批評とか解説なわけですから、さしづめ私の職業は「評論家評論家」でしょうか。つまり私は文句が多いわけですね。

例えば映画評論家。彼らはメディアで映画に対して批評をするわけですが、100人が100人絶賛する映画なんてあり得ませんし、例え100人が絶賛したところで面白いとも限りません。もし100人の評論家が絶賛していたとしたら、みんな一体いくら金もらってるんだくらい思ってしまうわけです。ですから100人の批評が違うのが当然なわけです。しかし批評を生業としている人たちの意見が割れるとは、これは逆にどういうことですかね。批評家とは信用できない人たちの集まりなのか、それとも私がひどく懐疑的なんでしょうか。

でも実際それが当たり前だと思います。100人居れば100人の意見がなくてはならないわけですし、自分の意見や好みもあるのが当然ですから、自分の趣味に1番近い評論家を見つけて、その意見を参考にすれば良いわけです。「あのおかまの勧める映画は面白い」とか「木村奈保子はいつ見てもキレイだ」とか「早くシベリア超特急の続編を作れ」とか。

私は普段、見る映画を決める時に重要視するのはそのタイトルです。一言で言えば第一印象です。インパクトのあるタイトルや心の琴線に触れるようなようなタイトルに魅かれます。そのせいでしょうか、ホラー映画を好みます。ホラー映画って無茶苦茶なタイトルが多いんですよ。もっとも、ホラー映画が好きな理由は他にもありますが、その無茶苦茶さ加減に共感してしまうわけです。洋画の邦題は日本の担当者が付けるわけなんですが、その担当者のセンスに脱帽してしまうと、見ずにはいられないわけです。そんなわけで私にとっての映画評論家は映画評論家ではなく、配給会社の担当者ですね。

基本的にホラー映画というものは原題で公開されることは少ないです。8割方邦題が付くんじゃないでしょうか。しかしホント無茶苦茶ですよ。B級ホラーの金字塔と言われる"The Evil Dead"という映画があります。直訳すると「邪悪な死体」となるわけですが、これが担当者の手にかかると以下のような邦題になります。「死霊のはらわた」。無茶苦茶ですね。さらにB級ホラーの双璧と言われる"The Texas Chainsaw Massacre"という映画。直訳すれば「テキサス電気ノコギリ大量殺戮」ですが、これが担当者が寝ずに考えると「悪魔のいけにえ」。度を越しているんじゃないでしょうか。個人的には"Dead & Buried"の邦題が最高だと思います。直訳は「死と埋葬」ですが、担当者の一存で「ゾンゲリア」。監督にケンカ売ってるとしか思えません。

しかしこの手の映画がヒットすると困った現象が起こります。悪魔のいけにえや死霊のはらわたがホラーブームの火付け役に一役買っていたんですが、なんでもかんでも頭に「死霊の」「悪魔の」を付けてしまうんです。ビデオ屋のホラーコーナー行くとわかりますよ。悪魔と死霊のだらけで、どれが本物か亜流なのか区別がつきませんから。ちなみに死霊のはらわたに興味を持った方、間違って「死霊の盆踊り」を借りないようにくれぐれも注意してください。
 
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