分散コンピューティング
 
年の瀬も迫ってまいりました。私にとっては、忘年会そして新年会と大手を振って酒が飲める嬉しいシーズンの到来でありますが、その前に世間一般では、年末年始の前に国境と宗教を無視した超グローバルなクリスマスなる壮大なイベントが控えているわけです。クリスマスに関しては去年もテキストで書かせて頂いたわけで、特にそのものに関してはどうこう言うつもりはありません。今回はクリスマスのイルミネーションや装飾に関して一言。

ニュースで見た方も多いと思われますが、11/30にロックフェラーセンターで巨大ツリーに点灯式が行われました。高さ約20メートル、重さ約9トン、約3万個の電球で装飾されている立派なツリーであります。そこで我が国では如何に。電力の供給源である石油価格の高騰問題の真っ只中、全国各地の各家庭でロックフェラーセンターに負けじと次々に点灯式が行われている次第であります。まるで分散コンピューティングのように。
※分散コンピューティング--インターネットを通じて多数のコンピュータを使用することにより、スーパーコンピュータ並の計算を実現する仕組み。人海戦術。

さて最近ではクリスマスも近くなると、各家庭にて趣向を凝らした装飾があちらこちらで目立ってきます。ベランダや玄関先に無駄に陳列してある電球のことです。基本的には装飾した本人が家の中から見えないという問題を抱えつつ、いかに電力を無駄にする経済力があるかという見栄の張り合いのあれです。電球の数が多いだけ人間の底が割れるというか、経済観念の無さをアピールしているやつですね。そんなことをするくらいなら表の駐車場にベンツやBMWを置いておいたほうが効果は絶大だと思うんですが、そこまでは手の届かない上流を気取った庶民だけの持つ感覚なのでしょう。

実家の近所の並びの2軒が毎年物凄いのです。見栄の張り合いが年々悪化してとんでもない惨状となっております。毎年毎年この時期に実家に帰る度に、電球の数が増えておりまして、実に嘆かわしい限りです。年々見栄の張り合いが加速化しているのでしょう。素人目に一般家庭の40A契約では明らかに不足しているだろう数の電球(電力)が、まとこきらびやかに輝いているのです。その惨状はまるで宇宙と交信するつもりではないかと見紛うほどであります。実際宇宙と交信するつもりであればこちらとしても安心なわけですが。

日本人の私としましては、正月の玄関先に立派な門松を並べるほうがよっぽど尊敬に値すると思うのです。できればその趣をアピールするために、そしてクリスマスごときがなんだという気概を示すために電飾化された門松を、です。
 
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