常識をはずれておかしいさま
 
--こっけい【滑稽】--
(名・形動)[文]ナリ
・常識をはずれていておかしいさま。
「滑稽な生き方する人を社会人と呼ぶ」これは友達の言葉ですが、私はこの言葉を聞いた時に金言かもしれないと思いました。更に辞書を引くと上記のように「常識をはずれていておかしいさま」とあります。友達の考え、そしてそれに共感した考えからすると、常識を持ち合わせているはずの社会人が非常識だと、こういうことになるわけです。

私はいつだったか母にこう言われたことがあります。「あなたは社会に対して批判ばかりしている」と。だからでしょうか、30にもなって定職にも就けずにふらふらいるわけですが、社会というものに不満が多いと、どうやら社会という枠組みから弾かれてしまうようです。では私という人間は常識を持ち合わせていないのかというと、常識からするとどうやら持ち合わせていないようです。何故なら常識という社会からしっかりと弾かれているわけですから。

--せけん【世間】--
・社会での、交際や活動の範囲。
・人とまじわること。世間づきあい。
「世間」という言葉があります。これはほとんど「常識」や「社会」と同じ意味に捉えても構わないでしょう。人は皆、社会や世間そして常識と言った言葉を盾に、そして武器にします。「社会を甘く見るな」だの「世間ではそんなことは許されない」だのはよく聞く言葉です。が、世間というものは果たして唯一なのかと言えばそれは違うことは皆さんご承知でしょう。よっぽどの変人でもない限りは、自分の考えは世間の意見であり常識であると考えて行動しているはずです。むしろそうでないと生きてはいけないでしょう。

そこで先程の言葉です。「世間ではそんなことは許されない」。確かに社会的慣習からして許されないことは多々ありますが、個人の思考レベルにまでその言葉を持ち込むのは、これはどうかと思います。話をわかりやすくすれば、例えば浮気ですね。他の女の子とおしゃべりをする、メールをする、食事をする、中出しする。一体どこからが浮気なのかだなんて、討論したところで太陽系滅亡まで結論が出ることはないでしょう。しかし人間は自分が当たり前だと思っているのが常ですから、またそれを世間の常識とも思っていても不思議ではありません。ちなみに私はメールまでは許されるのではないかと思います。まぁそれも内容如何ですけども。

しかしここにお固い人が居るとしましょう。「おしゃべりも浮気だ!」というわけです。これが自分の彼女なら宣戦布告されるわけですが、気取った大人はこう言います。「世間ではそんなことは許されない」。はは、バカ言わないでくださいよ。世間というのはお前じゃないか!

話が少しずれてしまったので戻します。社会人が滑稽だということです。が、だからといって社会人をバカにしているつもりは全くありませんし、社会人そのものをどうこう言うわけでもありません。しかし社会から弾かれてしまっている人間、つまり私から見ると滑稽に映ることもある。と、こういうわけですが、これは弾かれてしまった私の僻みもあるでしょう。社会に馴染むというごく当たり前のことが出来る皆さんを羨ましく思うことも時折あるのですから。

皆さんは仕事に対してはどのように向き合っているのでしょうか。「好きなことが仕事なので満足だ」とか「稼ぐ手段と割り切って楽しみは別にある」とか、きっと千差万別でしょう。学生の時に私がコンビニでバイトをしていた時のことです。ふいに社員からこんな質問をされました。「あなたはどうしてここで働いているのですか」と。求められている答えとは違うだろうと思いつつも私は正直に答えました。「稼ぐためです」と。しかしその社員はいかにも私が間違っていると言わんばかりにこう言いました。「それもあるけど、私たちはお客様のために働いているんですよ」と。腹は減っていましたしたが噴飯ものでした。稼ぐ以前にお客様のためだというわけです。私にはこれは後付けのプライドだと感じ取れました。

店員という職業はバカにされやすいものです。いつだったかどこかのサイトで、職業に対する尊敬度のようなものの意識調査のデータ(公的機関のもので信用がおけるはずです)を見たことがありますが、店員は下から数えてかなり早い順位でした。実際に私は店員という仕事をいくつか経験しましたが、お客に怒鳴られたり胸ぐらつかまれたり、そんなことは珍しいことではありませんでした。その度にバカにされていると悔しい思いをしたものです。ですから、「お客様のため」だと心から思っているのであれば、わざわざコンビニの店員を仕事に選ぶことは思えないのです。コンビニの店員がバカにされると感じていながら、悔しさを味わいながら、後付けのプライドが彼女にそう言わせているのだとしか感じ得ません。なるほど滑稽ではありませんか。なにせ真顔で語られたのですから。
 
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