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小生、ガキンチョの頃より、理科とか工作の時間が好きでありました。(ちなみに体育は一番にがて)
そんなこんなで大昔の記憶をたどりますと、そもそも「電気」に興味をもった瞬間というものは比較的よく覚えております。
小学校の理科の時間に豆電球と乾電池の授業がありまして、やれ直列につなぐとか並列とか(そんな難しい単語が使われたかどうか定かではありませんが)、へぇ〜、そんじゃひとつ自分で実験してみるべぇ、ということになりまして、なけなしのおこずかいを握りしめて学校帰りの道すがら電気屋さんによって 「すいません、豆電球ください!」 とあいなったわけでございます。いま考えると、いわゆる家庭内の電気配線などがメインの電気屋さんで、よく豆電球なんか置いてあったなあと今更思うんですがね。
まあとにかく豆電球と乾電池を手にした小生は嬉々として家に帰ると、さっそく薄暗い部屋のさらに机の下で乾電池と豆電球を接続する実験に及んだわけであります。
豆電球の電線を乾電池に接続した瞬間、あたりが「ぱあっ」と明るくなり、その瞬間の感動といったらありませんでした。
「こ、これはすばらしい!!いったい何がおきたの?? どうすればこんな現象がおきるの??」
んなわけで今後の小生の人生に「電気」は不可欠となってしまったのでありました。小学校の3、4年生くらいだった気がします。
その後メキメキ(こういう表現が適切かどうかわかりませんが)と電気関連に興味を持つようになりまして、結構その方面の友達(先輩)なぞも出来て、「ラジオの製作」なぞの雑誌も生意気に毎月買ったもんです。
当時はまだ真空管(MT管)式のTVが結構ありまして、近所の古物商のおじさんの所へいって古いTV(使い物にならない)を500円位でゆずってもらって部品を取ったものです。1台のTVをバラすと真空管の他に抵抗やらコンデンサやら結構部品が調達できたもんです。当時の小生の部屋はこういった部品が所狭しとならんでいてオフクロからみると、完全にガラクタでして(小生には宝物)よく かたずけろ! としかられたもんです。
当時すでに半導体、というかICなるものもボチボチ出始めてはおりましたが、まだまだ真空管のほうがなじみがありまして、ラジオやらアンプやら作っては壊したりしていました。(小学高学年から中学生頃)
そうこうしているうちやっぱ自然に「無線」なるものに興味を持つようになりました。まだ「携帯電話」などその概念も無い時代でしたから、電波を飛ばして未知の遠い人と会話するということは一つの浪漫でもあったわけです。
まだ電圧とか電流とか ましてやオームの法則も ろくにというか殆ど理解できないくせに、ただ無線がやりたい!というだけで、親に頼み込んで無謀にも アマチュア無線の免許取得の通信教育を受けたりしましたが(確か小学5年くらいだったかと思います)、半年もたたず挫折しました(トホホ)
実はこの挫折で内心 無線の免許取得は殆どあきらめてしまった小倉少年でしたが、電気・無線への興味はあきらめきれないものがありました。
中学も3年生くらいになると、一般の方々がそうであるようにお受験なるものを意識せざるを得なくなり、必然的に無線だの工作だのから離れる結果となってしまいました。(無論、お勉強のなかで電気の部分だけは自身ありましたがhi)
しかし高校に入学して次なるお受験(大学)までちょっと時間ができると またぞろ無線への興味がフツフツと湧いてくるのでありました。いまの内に何かしなければならん!という気持ちはつのりましたが、無線免許取得に関しては、小学生時代の通信教育挫折が一種のトラウマ状態であった小生が選んだのは「高一中ニ」の製作でした。
当時(昭和40年代後半)は既に真空管は殆ど姿を消し、ソリッドステート(という表現も既に死語だが)全盛に移っていましたが、小生的には 小学生時代からあこがれの「高一中ニ」をいちど自作してみたいと思ったのでありました。「トリオ」(現KENWOOD)の「9R59D」はまだまだあこがれの名機として記憶に残っておりました。
また田舎の部品屋でもまだまだ真空管関連の部品は手に入りました。
すったもんだの挙句何とかできあがりはしたものの満足のいく調整ができず、やはりフラストレーションの残る結果とあいなったのでありました。
ほんと何事も中途半端だよなあ、あのころから今でも。
いまから思うに、無線への思い込みが一番強かったのは小学生の頃だったなあと思います。無邪気でした。でも当時の小生に難しい電気磁気学を独学で理解できるはずもなく、中学・高校と進学するも受験を理由にしてアマチュア無線のライセンス取得を先延ばししていた気がします。(ホントはただサボっていただけ、みたいな)
これは就職、結婚に至っても全く同じで、大学では電気関係を専攻し、就職も(営業ではありますが)電気関連を選択しておきながらライセンス取得は先へ先へと引き伸ばされたのでありました。
その後、遅ればせながら無線の免許をとるきっかけとなったのは、転職して担当したのが東京三鷹にある某有名な無線関連の企業だった事にあります。船舶無線などで有名なこの会社(といえばもうおわかりかと)に出入りするようになると、ハム(この言葉も死語化しつつあるような…寂しい)の人がたくさんいてお昼休みにはクランクアップタワーをちょいと伸ばして食後の腹ごなしに海外と気楽に交信してるわけです。当時の小生には結構インパクトありました。
この会社の資材部長さんも当然ハムで、仕事で訪問したおり、ついハム談義になってしまい仕事なんだか趣味なんだか、という感じでした。(リッパに営業しているとも言う)
そんなわけで小学生依頼のトラウマを断ち切りアマチュア無線の免許を取ったる!!と一年発起したわけでありました。怪しげな通信教育を挫折してから早20年が経過しておりました。