風は強く吹き荒れていた。
暗い空で幾度も空転する風。切り立った谷を駆け抜ける風。草を薙ぎながら、斜面を走る風。
その途中で、風は容赦なく丸木小屋に体当たりを繰り返している。
嵐の夜である。
丸木小屋は古くはあったが、とても頑丈で、風に吹かれても柱や壁は微塵もうめいたりはしなかった。
ただ、音だけがにじみだしてくる。
ごっごごぅ。ごっごごぅ。
そんな不気味な音を聞いていると、音にあわせて暖炉の火が揺らめいているような錯覚に陥り、ひどく恐ろしい気分になってきた。漏れ出ていないはずの風が、暖炉の火を揺らしている。不思議に呼吸をあわせる風と炎。なぜ、歩みをあわせるの? なぜ、私に忍び寄るの?
寝返りをうった。
「眠れないのかい、クララ」
ベッドの衝立の向こうから祖母の声が聞こえた。衝立があるとはいえ、暖炉の火のおかげで充分に明るかった。毛布にくるまったまま、虚ろに返事をする。恐いの。羊たちも心配だわ。
嵐の中でも不思議とよく聞こえる、ぱたぱたとした足音を響かせながら、衝立の向こうから祖母が顔を出した。ベッドの横の椅子に、静かに腰を下ろす。
「大丈夫よ、おじいさんの代から、この家は一度だって嵐に負けたりはしなかったわ」
でも恐いの。風が。音が。
「大丈夫よ、少しも恐いことはないわ」
言い含めるように、やさしく言った。暖炉の火はまだ風に合わせて揺らめいている。
「この世に恐い音など一つもないのよ。恐く思うのはね、ただお行儀が悪いだけなのよ。そう、この前歌を教えてあげたわよね」
毛布を首もとまで引き上げる。つぶらな青い目に、眠りの兆しは無い。
「歌と言葉にはね、不思議な力があるわ。正しく使うと、とても強い力を見せるの。そうだ、今日はポップンワールドのお話をしてあげましょう」
いよいよ睡魔はけしとび、恐怖を押しのけて好奇がわき上がる。もう風の音は耳に届いてはいない。
「その国は、歌と音楽がいくつも重なりあって出来ているの。そこでは風も、太陽も、草花や大地までもが歌声を持っているの。あるものは静かに、あるものは雄大に。響き、轟き、どこまでも大きく広がっていく世界よ。どう? すてきだと思わない?」
バシッ。相槌を打つように、暖炉で薪がはぜた。クララはいよいよベッドから体を起こす。
「おばあちゃん、それ、すごくステキ。どこにあるの? そこは」
「今ここにだってあるよ、クララ」
嵐は奏でる。
「歌と音楽を愛する人は、いつでも行くことが出来るのよ。さぁ、もうおやすみなさい」
もう風は、世界の旋律の一つになっていた。もう、恐ろしくは聞こえない。
アルプスの峰が朝日に白く照らされる。昨日の嵐は日に照らされる事で、溶けてしまったかのようだ。
樫の扉を開けると、風と雨とに磨かれた冷たい空気が流れ込んできた。ためらうことなく、外に飛び出す。家の横の小屋をぐるりと一周。よかった、羊たちは元気みたい。
そのままなだらかな丘を走り出した。草についた朝露をはじけさせながら、走り出す。朝日がぐんぐん昇ってくる。
おばあちゃんの言ったとおりだったわ。今ならきこえる。風の旋律。太陽の歌声。走る足はどんどん加速し、一つのリズムを刻んでいった。
あぁ、わたしも世界が奏でる音楽の一部だわ。
自然に、歌声がでた。歌声は風に乗り、広く、大きく広がっていく。空はどこまでも広く、青い。
丘の草原が空に続けとばかりに青くなる頃、クララは十歳になります。
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