十二月。
低くたれ込めた雲の下、冷たい風が流れている。道行く人は、寒さに追いつかれまいと、早足で歩いているようにも見える。公園沿いの、道の傍らの若者に目をくれるものも居ない。
若者は二人。一人は帽子を目深にかぶった男。この寒さの中、長い間立ちつくしていたのか体が震えだしている。もう一人は相棒であろう、くすんだ茶髪の、爆発頭の男。こちらは冷え切ったアスファルトに座り込んでも平気な顔をしている。一見してどこにでも居そうな若者であるが、二人の唯一の共通項……ギターが彼らがストリートミュージシャンであることを物語っている。足下に置かれたギターケースは、すっかり地面にぬくもりを吸い取られて冷え切っている。ちなみにギターケースの中の小銭も額もなにやら寒々しい。
たまりかねて、立っていた帽子の男が、茶髪の男に話しかけた。
「おい、シンゴ」
「オッス、おれシンゴ」
「こうして突っ立っていても始まらないぜ。もう一曲いくぞ」
「オッス、おれシンゴ」
この時ばかりは、シンゴと呼ばれた茶髪の男も立ち上がった。一動作で、ギターを構える。こうして二人並ぶと、急にストリートミュージシャンらしく見えるのが不思議だ。帽子の男もギターを構え、一息吸い、白い息と共に大声でお決まりの一言を発した。
「ジュンと!」
「シンゴの!」
「『純真』路上ライヴでーすっ!」
三曲目ぐらいから、体が温まってきた。けれども、立ち止まり聴いていく者は居ない。帽子の男……ジュンが一旦演奏を止めた。
「なぁ、シンゴ」
「オッス、おれシンゴ」
「三曲目の『四畳間の青空』、けっこうよく歌えたと思うんだけどよ」
「オッス、おれシンゴ」
「マジメに聞けよこのトリ頭! なんつーか、今日は日が悪い。ついでに言うと、やっぱり寒いといい歌声も出ないよな。そこでだ」
ギターケースの中から、なけなしの小銭を拾い上げる。
「今日は特別にコーヒー買ってこようと思う。この前みたいに公園の水じゃぁ元気出ないからな。いいよな?」
「オッス、おれシンゴ」
「決まりだ。ちょっと行って来るから、一人ででも客の足止めてろよ」
ギターを置いて、ジュンは公園沿いの道を走りだした。それを見届けてから、シンゴは律儀にソロでギターをかき鳴らした。
朝目覚めて大笑い おまえの顔畳のあとついてるぜ
そういうおまえもついている 昨日あんなに語ったもんな
おれたちの音楽 これからの音楽 おれたちの夢 これからの夢
気がつきゃいつも 疲れて眠る 疲れ果てて眠る
明日こそちゃんとご飯食べよう 夢だけじゃ腹はふくれない
その前にちゃんと布団で眠ろうぜ とりあえず枕がありません
「おまえおれの腕を枕にするなよ」
狭いんだからしょうがない でもここから見える青空は広いんだ
(作詞・作曲ジュン&シンゴ)
誰も止まらない。
このシンゴという男、律儀なのか単細胞なのか、ジュンがなかなか帰ってこなくても一人でいつまでも歌い続けている。しかも二人で歌うことを前提にした歌まで一人で歌うものだから、なんだか一人芝居の様相を呈してきた。一人で歌い始めてもう四曲目である。その中の、本来二人でセリフをあてる部分を一人で演じているとき、一人の少女が不意に足を止めてしまった。歌に気が向いたわけではなく、一人芝居をしている爆発頭の男に注意が向いた格好なのだろう。その時、シンゴはいきなり演奏を止めた。つられて少女の歩みも止まってしまう。
「オッス、おれシンゴ」
「え、えぇ!? わ、わたしさなえ」
一瞬で「ストリートミュージシャン」と「通行人」を繋ぎ止めてしまった。このシンゴという男、意図してこういう事をしているとしたら、結構凄いかもしれない。天然なのだろうけど。
「え、えーと、ストリートミュージシャンの人? あの、わたしもギターやるのよ」
話しかけたっきり、屈託のない笑顔を浮かべたままの男に、さなえと名乗った女の子の方が必死になって話題をふった。無視して立ち去るのは、性格上出来ない。場に打ち付けられた足はもじもじ動き、手持ち無沙汰になった両手はマフラーの端をつかんでいた。
「ギターって難しいわよね、ほら、なんていうか、ギターに限らず楽器って自分が出るじゃない!?」
もう何を言っているのか、よくわからない。一方シンゴは一度屈み、相棒……ジュンのギターを拾い上げる。そして、さらにはじけた笑顔と共に、ギターを少女に差し出した。
「チクショウ、遅くなっちまったぜ。まさか『アフロ印のバンブーコーヒー』ってローカルなコーヒーなのかよ!?」
誰に聞かせるでもなく、悪態をつきながらジュンはコーヒー缶を二つ手にして走っていた。久しぶりにお金を出してコーヒーを買うのだ。お気に入りのコーヒーを探していたら、とうとう公園を半周して商店街の方まで行ってしまった。ようやく公園沿いの通りまで戻り、シンゴの待つ街路樹の下へと走っていった。ようやく、ひときわ大きい公園入り口横の街路樹が見える。
だが。なんだか様子が変だ。入り口横に人だかりが出来ている。人だかりの向こうから、ギターの音色と澄んだ歌声が聞こえる。いったい誰だ?
現場に到着し、ジュンは帽子の下の目を丸くした。シンゴのヤツが見知らぬ女の子と組んでギターを弾いている。二人のギターは昔からコンビだったかのような見事な旋律を奏で、寒空の下乾いた空気をみるみる音楽で潤していった。加えて、ヴォーカル担当の女の子の歌声が暖かく広がる。ジュンは、なんだか
猛烈に羨ましくなった。
演奏が終わり、これまでに聴いたこともない量の暖かい拍手が起こり、石畳の上のギターケースには、底が隠れそうになるほどのお捻りが投げ込まれた。会心の笑顔で答えるシンゴ。照れくさそうな女の子。コーヒー缶を手に、ジュンは人垣を割って二人の前に躍り出た。
「ええええぇと、あああの」
ジュンは自分のギターを肩に掛けた女の子に向かって話しかけようとしたが、ちょっとどもりだした。本来ジュンは、シンゴ以外の人間にはあけっぴろげにしゃべれない。目深にかぶった帽子も照れくささからかぶりだしたものだ。一方さなえはすぐに、この帽子の男の子が、爆発頭の男の子の相棒であることを瞬時に理解した。
「ご、ごめんなさい! 勝手にギター使っちゃって。あ、あの、わたしさなえ」
「オッス、おれシンゴ」
「てめぇにゃ訊いてねぇ! え、えーと、さなえちゃん? おれはジュン……」
ようやくまともに話せた。
「ホントにごめんなさいね。このギター、大切なものなんでしょ?」
「いや……かまわないさ。と、ところで」
最後まで言い切らないうちに、さなえはギターを肩から降ろし、ジュンの腕に掛けた。コーヒー缶を持っていたからだ。
「じゃましちゃって本当にごめんなさい! じゃあ、シンゴくんも、またね」
ギャラリーの視線を避けるように、さなえは足早にその場を立ち去った。にわかヴォーカリストに残ったギャラリーから小さな拍手が起こる。ジュンは呆然として立ちつくした。
「あ、あの……さなえちゃん?」
「オッス、おれシンゴ」
会心の笑顔でジュンに向かって右手を差し出すシンゴ。「コーヒーよこせ」の意志表示だ。
ジュンは至近距離で、シンゴに向かってコーヒー缶を投げつけた。
日が暮れた四畳半。ジュンは蛍光灯の安っぽい光の下、隣の線路から伝わる振動を感じながら缶コーヒーをすする。まだ半分ほどしか飲んでいない。ぼんやりと、窓の外を走る電車の光を追う。
「さなえちゃんって言ったっけなぁ……あの娘」
誰に聞かせるでもなく、つぶやく。
「ギター上手かったよなぁ……歌もなぁ」
めずらしくシンゴはジュンに背を向けたまま黙っている。
あと、かわいい娘だったよなぁ、と口の中でつぶやく。
「オッス、おれシンゴ!」
いきなり変なところで相槌を打たれて、ジュンは飛び上がった。だがそれはつぶやきが聞こえていたわけではなく、別の理由で発した言葉のようだった。サバ缶を開けたシンゴは、旨そうにパクパク食べ始めた。
「あっ、てめぇ! どんなに売れても印税と食い物だけは折半だって約束しただろコノヤロウ!」
「オ、オッス、おれシンゴッ!」
ヘッドロックをかけられながらも、シンゴはサバ缶をこぼさないように持っていた。器用な男である。ジュンはなかば照れ隠しに、さらにシンゴを締め上げた。本当は羨ましかったのだ。ほんのちょっと、席を外した隙に「夢にまで見た理想のプレイ」をあんなにあっさりと実現されてしまったのだから。
もう一度会いたい。
その気持ちの数だけ、ジュンはシンゴを締め上げた。
「オ、オッス、おれシンゴ!」
<缶(完)>
|