今月の特集
世紀末は来るのか? (2000年は来るのか?)


 20世紀末を迎え、巷では終末論が蔓延し、そのてのテレビ番組、雑誌の特集記事も多い。終末を強調し、信者数を伸ばしている新興宗教団体も多い。本当にそんなことは起こるのか? 今、このての話で一番ホットなのはノストラダムスの予言であろう。提督がノストラダムスを初めて知ったのは、小学校の低学年の時であった。今から30年位前の事になる。まだ、ノストラダムスの研究で有名な五島勉氏も、ノストラダムスの事を本にはしていなかったと思う(間違っていたらごめんなさい)。では、どこで知ったかというと、小学館の「世界の不思議、世界の謎」という本の中で読んで知ったのを覚えている。この本の中には’1999年に人類滅亡のような大事件が起こるが人類は生き延びる。’と、書いてあった。人類の滅亡はもっと先に来ると書いてあったのも覚えている。
 そして、終末論といえばキリスト教も忘れてはならない。聖書には終末論が山のように載っている。仏教にも末法思想というものがある。これは終末論なのか? 今は末法なのか? これらを順番に検証していこう。

 索引
 ・ヨハネの黙示録を考える
 ・ノストラダムスの諸世紀
 ・仏教の末法思想
 ・結論



・ヨハネの黙示録を考える


 ヨハネの黙示録は、聖書の中でも有名な預言の書とされている。しかし、その文章をまともに読もうとしても何が書いてあるのか謎だらけ。まあ、このような暗示的な文章を黙示録というのであるが、ここにサンプルとしてひとつ掲載して見よう。
ヨハネの黙示録 第16章 『それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使いに向かい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のできものができた。第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると海は死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった。第三の者がその鉢を川と水の源に傾けた。すると、みな血になった。それから、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「今いまし、昔いませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。・・・・』
 この文章を見る人が見ると、未来を占う預言の書になるのだろう。では、ヨハネの黙示録の書かれた時代背景を考えて見よう。ここでは、小坂井登氏の『終末論の正体』 参考にさせてもらった。
 1世紀、キリスト教徒達は終末をすでに信じていたようである。ただし、ここではっきりさせておかなくてはならないのは、彼らが信じていた終末の時は、遠い未来ではなく、彼らが生きている今の事であった。彼らは終末を望んでいた。キリスト教とはローマの下迫害されており、彼らの目にはこの世は破滅するものと映っていたのだ。終末の後には新しく完成された神の世界が待っていると信じていた。しかし、なかなかその時は来ない。そんな中、70年にユダヤ民族の抵抗戦争がローマの鎮圧軍との間になされ、エルサレムは陥落する。キリスト教徒達は一早く避難。避難したキリスト教徒達は、現在のキリスト教会の基を作ると共に、終末論を訂正し、現実の生活に戻っていった。キリスト教徒達への宗教弾圧が終ったわけではない。彼らは弾圧に耐えるために、終末にかける逆転の発想が必要であった。しかし、この思いを直接記述することは自殺行為だ。ローマを明らかに敵と見る考えを記述することはできない。ここに黙示録が生まれる。終末に掛ける希望の影を、神の黙示として綴ったものこそがヨハネの黙示録なのである。決して、遠い未来の現代の事をいっているのではなく、彼らが生 きている近未来への希望だったのである。この情報を基に、他の聖書の終末論的な言葉を読んで見ると、ヨハネの黙示録と背景が同じなのに気付く。例えばダニエル書、『憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、1290日が定められている。』 これは、聖地エルサレムにゼウス像が立てられた事を言っている。 また数多くの終末論が述べられている個所の文章の主体は誰かと考えて見ると面白い。『わたしたち生き残っている者が・・・。』とか、『あなた達は・・・』といった記述がある。明らかにこの時代に生きた人達に述べられた言葉であって、現代の我々に述べられている言葉ではない。終末論で脅迫する宗教(今、入信しないと終末に助からないと説く)や、エヴァゲリオンは、聖書を変な風に読んでないかい?



・ノストラダムスの諸世紀


 ノストラダムス、本名ミシェル・ド・ノートルダム。現在この人の名前を知らない人はいないだろう。インターネット上にも山のようにサイトがある。
 ・ノストラダムス予言解釈 - 予言に関する諸解釈を紹介。
 ・ノストラダムス・惑星の謎 - 「諸世紀には世界地図が隠されていた」等を始め新しい説を提唱。
 ・ノストラダムスサロン - エッセイや、解説、文献紹介等。
 ・大和武史 - エドガー・ケーシー、ノストラダムス、ヨハネの黙示録から世紀末危機を警告する本の案内。

 これらのサイトは本の一例。でも、ぜひ一度見てみてほしい。ノストラダムスのこの予言が、と、いうよりは日本人の捕らえ方がいかにいい加減カが分かるから。とにかく、色々な解釈があるのである。何でこんなに色々な解釈があるのか? それは、詩そのものがどのようにも取れるように書かれているからである。人類滅亡を預言したと言われる詩はこのように書かれている。
『1999の年、7の月、空から恐怖の大王が降ってくる。アンゴルモアの大王を復活させるために。その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配に乗り出すだろう。』
五島勉氏 訳
この詩からあなたは何を考えるだろう。あえて提督は自分の考えを書かない。



・仏教の末法思想

 仏教には末法思想というものがある。末法思想とは、仏教の時代観を述べたもので、正法、像法、末法に分けられる。現代はまさに末法と言うわけだ。末法の世では、教えそのものが滅びてしまうという。更に世も滅びるとも書いてある。法滅尽経にはこのように書かれている。『劫の尽きんとする時であるから、日月がいつもより早く回転し、人の寿命は短くなる。四〇にもなると頭は白くなり、男子は早死にして、せいぜい生きて六〇歳。女性は長生きで七,八〇歳まで生き、時には百歳に至る。そして突然、大水が襲ってきて止むことがない。富める者も貧しき者もみな溺れて、魚やすっぽんの餌食になり、世界は滅びる。・・・』 この後、弥勒菩薩が現れるまで末法は続くのだそうだ。この思想も新興宗教が信者を獲得するために使っている。釈迦仏教では助からない。だから私達お宗教に入りなさいと。特にXX学会が使っている手だ。しかし、みなさん、末法の世とはいつから続いているのかご存知ですか? 仏教学では末法の世は1052年に始ったとされている。とっくに末法なのである。今更じたばたする話ではないのだ。こんな事を気にすることこそ仏教の教えに反 する。だいたいこの経典自体、釈迦が説いたものではないし。ちなみに弥勒菩薩が下生(この世に生まれる)のは、釈迦入滅後、56億7千万年後とされている。釈迦が入滅してから、まだ、およそ2500年くらいしかたっていない。0に等しい。とーいぞー。参考までに何で56億7千万年かというと、弥勒菩薩は兜率天という所で修行中なわけなんだけれども、ここでの寿命は4000年らしい。しかし、人間界の400年は兜率天の1日にあたるのだそうだ。と、いうことは、
 400 X (12 X 30 一年をこう計算するらしい) X 4000 = 57.7千万年
およそ5億8千万年後のはずだか、この数字が1人歩きして56億7千万年になったらしい。まてよ、56億7千万年後に弥勒菩薩が現れて救われると言うことは・・・。そこまで終末はないと言うことだな。



 

結論

 うーん。世を騒がす終末論のなんと根拠のないことか。みんあ売れるからといって人心を惑わしたらいかんよ。しかし、現実に怖い話もある。これは予言ではなく予報である。例えば2030年予想と言うのがある。2030年、人口は85億になるそうだ。85億という人間を現状のまま養うのは不可能に近いらしい。人間以外の生き物にはさよならをしてもらわないと、生きていけないそうだ。更に、二酸化炭素濃度が今のまま増えていくと、2030年には現在の2倍の濃度となり、平均気温は2〜3度上昇するそうだ。ニューヨークも東京も水没だ。日本だけで言えば、隣の国も何やら怪しいし。まあ、結論的に言えば、十分に注意しつつもくよくよしないと言うことだろう。聖書、マタイの福音書にもこう書いてある。『その日、その時は誰も知らない。』



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