サラブレッドてなーに?


 

 とーても為になる提督のホームページですね。今からサラブレッドとは何かといった説明をいたしましょう。サラブレッドとは、皆さんご存知のように、人間が意図的に作り出した走るための特別の馬です。アラブ馬にヨーロッパ系の馬を掛け合わせて出来た優秀な馬がサラブレッドです。とりあえず、馬の歴史も交えて見ていくことにしましょう。

サラブレッドとは生物学的になんなのか?
 サラブレッドは哺乳類の中の奇蹄目、馬科、馬属、家畜馬のサラブレッドという品種です。奇蹄目というのは中指中心に体を支え、草原を歩き、草木を食べる動物です。この目の仲間には馬とバクと犀が上げられます。いずれも同じ祖先から新化したと言われています。馬科にはロバ、シマウマの類があります。驚いた事に馬属には家畜馬(学名カバルス)一種しか現在していません。ただし学者によっては唯一の現在野生種とされるエクウス・プルシェヴァルスキーを別種に分類する人もいます。家畜馬の中のサラブレッドという種は、あくまでも家畜としての品種であって、ドサンコやポニーとは大きく異なった外観をしていますが、同じカバルスという種に所属します。

サラブレッドの基、アラブ馬
  サラブレッドという種はアラブ馬を改良しながら出来あがった品種ですが、アラブ馬自身も人間によって意図的に作られた馬です。アラブ馬はアフリカのバルブ馬と北方の遊牧民の馬との混血ではないかと言われています。アラブ馬誕生の伝説は幾つかあり、その内の一つにイスラエルのソロモン王の話があります。ソロモン王は家畜の育成に強い関心を持っていて、遠くから七頭の優れた若馬を取り寄せました。そしてその馬と自分の牡馬とを海へ沈めました。ソロモン王の馬はすぐに死んでしまいましたが、七頭の馬は岸にたどり着きました。それらの馬が種牡馬となってアラブ種を生み出したというのです。ソロモン王はあまりにも馬に熱中してしまい、つい神様へのお祈りを忘れてしまいました。深く反省した王は六頭の牝馬を追放し神に許しを乞いました。後のアラブ種に時々出来そこないの馬が出るのはその時の子孫だといわれています。実際にアラブ種を育てたのはシナイ半島出身のベドヴィン族だとされています。






サラブレッド誕生



サラブレッドの三大始祖と呼ばれる馬。
すべてのサラブレッドはここに行き着くという。

 サラブレッドの語源は、「Thorough=徹底的」+「bred=品種改良されたもの」です。過去300年にわたり改良・淘汰されてきたサラブレッドの歴史。それを時代背景を交えながら、考えてみましょう。1700年頃のヨーロッパ。神聖ローマ帝国は強力なリピッナーという馬を持っており、他のドイツ帝国などはローマ帝国に抵抗するために強力な馬を作る必要がありました。そこで開発された馬がトラケナーです。トラケナーは地元のシュヴァイケン種をポーランド・アラブで改良した物です。トラケナーは強引に開発され、より速く、より強い馬を生産すべく、競馬のような能力検定を行い、最良のものを種牡馬や繁殖牝馬として残し、次のクラスの馬を他の国立牧場に送り、3番目のクラスの馬を民間に払い下げ、それ以下の物を軍馬などに共用しました。能力試験では次々と世界レコードがマークされ、都市間の長距離走でもすばらしいスタミナを発揮したとされています。ところが、このトラケナーが直接サラブレッドになったわけではありません。サラブレッド誕生の国はイギリスです。この当時イギリスには、他のヨーロッパ列強の国々が持っているような強力な馬は存在して いませんでした。他のヨーロッパの国々が多かれ少なかれタタール系かイスラム系の騎馬民族の影響を受け、騎兵と馬を育てるのにやっきになっていた時代にも、イギリスは島国という環境もあり、そんなに切羽詰った状況ではなかったのです。18世紀初頭に、サラブレッド3大始祖の1頭、ダーレアラビアンが輸入されます。こうしたアラブ系の馬は当時のイギリスにはほとんどいないため貴重品として大切にされ、それらの子孫がイギリスとしてはすばらしい競走馬になっていきました。当時のイギリスには馬産という伝統がなく、アラブ馬は、イギリスの大きな馬の牝系やタークとの混血などと交配されていきました。こうした雑種的な交配は、イギリスでのみ行われました。1746年、ダーレアラビアンの直系として生まれたエクリップスはとてつもなく強い馬で、他の馬とはまったく競走にならなかったといわれています。それも当然で当時のイギリスは何度も言うように他のヨーロッパの国々に比べ、馬産の後進国です。ここで世界レベルの馬が出れば他の馬では相手にならないのは当たり前のことでした。これと同じ事がバイアリータークにも言えます。しかし、1790年ごろにサラブレッド という種が確立し(1791年、ゼネラルスタッドブック=登録書が刊行された)、輸出される頃になると、誰もがサラブレッドの優秀さを見とめざるをえませんでした。では、どうして、イギリスのサラブレッドはトラケナーに勝つことが出来たのであろうか。これは、イギリスに馬を使用しての戦争の心配がなかったことによると考えてよいでしょう。イギリスの馬産は基本的にレジャーです。軍事目的ではないので自由に輸出もできました。世界に広がったサラブレッドは、その土地の牝系と交配され新しい血が混ざり、再びイギリスに返ってきます。その馬が十分に強い馬であるのなら、再びイギリスで配合が行われました。思いつきが許されたのです。トラケナーのケースだと、配合できる馬の血統は決められていました。つまり、トラケナーは定方向新化でありサラブレッドは自然淘汰による新化です。こうして、サラブレッドは徹底的に品種改良され後に世界で認められる優秀な種となったのです。













  トラケナー



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