合気道を習っていた頃、先生の言葉の中で一つ、とても印象に残っている言葉がある。
日頃は空手着なり柔道着なりを着用して練習するのだが、ある日先生が袴を着用して出てきたことがあった。正しい足運びをしていれば袴も邪魔にならない……といった話であったと思う。よく覚えているのは、次の一節だ。
道場生の一人が質問した。
袴を着用している時としていない時とでは、なにが違うのですか、と。
明朗に先生は答える。
袴を着用すると、腰が伸びて統一体(合気道において、技をかける際に重要視される姿勢)が強化される。袴は合気道家にとって、一種のブースターのような役割を果たしている……と。
ブースターか。
道場でそんな言葉を聞くときが来るとは、露ほども思わなかった。
私が道場にいる間、練習で袴が再び登場することはなかった。
ブースターを使用するよりも、基本の獲得が先であると、誰もが気が付いていたのだろう。
ポップン7のロケテが実施され、今まさに頭上に大きな虹が架かろうとしていた時のことだ。一つの言葉が私の心に枷を掛けていた。
「ところで(よっしーさんって)クリアラーなん?」
彼の人のその言葉は、私を緊縛させるのに充分なものだった。
ポップン5から私は、ハイスピードオプションを入れることを意識的に止めてきた(六話、七話参照)。ハイスピードを入れると、ゲーム性が明らかに変化する。私はノーマルスピードでのみ味わえる「密集したポップくんを捌く感覚」に惚れ込んで、意識的にノーマルスピードで遊んでいた。
だが、(基本的に)ノーマルスピードだとゲームとしての難易度は上昇する。私も長くポップンにふれてはいるが、それに比例して上手いというわけでもない。レベル25〜28の曲を相手に、少しずつ、少しずつ等速ポップンのレパートリーを増やしていくのが精一杯だった。
ハイスピードのオプションを使用すれば、レベル30前後までは指先が届いたが、なんだか「ブースター」を使用しているような気分になり、それを自分の実力とは思えなかった。
だからこそ、ノーマルスピード……等速でのポップンを好んで遊んでいた。
だが、等速にこだわるその姿勢、がむしゃらさ、必死さが彼の人に「クリアラーなん?」という言葉を発させたのは明白だ。
八話でも書いたことだが、クリアラーというのは、決して卑称ではない。だが、音ゲーの世界においては、スコアラーは「音楽の良さに目を向けず、点数の高低にのみこだわる人種」として、クリアラーは「音楽の良さに目を向けず、高難度譜面クリアの可否しか眼中にない人種」として認知されている。認知されてしまっている。
滑稽かな。
ポップンを愛してやまぬと標榜する者が、ポップンにおいてがんばればがんばるほど、人ならざる者として扱われる。
スコア、クリアの可否を語らず、たかがゲームにがむしゃらにならない。
そのスタンスを保たなければポプラヴを語れない!?
だが、情熱をほとばしらせる人の中にも、確かにポップン好きは居るのだ!
しかし、今の私は……果たしてどうか。
「違う」と言い切れるのか。
結果、私は彼の人になにも言い返せなかったのだ。
かくしてポップン7のロケテは終了。全国にポップン7の虹が架かることになる。
依然、私は等速でポップン7に挑んでいた。お気に入りの曲も、たくさん見つかった。
ミスティにクラブジャズ、バリトランスにスウェディッシュ。しかし、どの曲もハイパー譜面の難易度が微妙に高く、等速では歯が立たなかった。最低でも二倍速にしなければクリアはかなわなかった。
「(よっしーさんって)クリアラーなん?」
またあの言葉が私をさいなむ。
等速で挑めば、実力に即さない事をしていると笑われる。
等速で必死に練習しても、たかがゲームにと笑われる。
倍速を入れれば自分の流儀に反する。
等速、倍速にこだわると後ろ指を指される。
しゃちほこばらず、声をそろえて言いましょう。
「ぼくはポップンがだいすきです」
等速で『ミスティ(H)』を、二回だけゲージギリギリでクリアできた後……私は急激にポップン7を叩く回数が減った。昔トップコメントで「ノーマル譜面+おじゃまが楽しい」なんて書いたのも、あれはハイパー譜面がまるで出来なかったことの裏返しなのだ。
そして練習をする、という行為そのものが後ろめたくなってしまった。
上手くなればなるほど、ポプラヴから遠ざかってゆく。
その「間違っていると解りきっている」考えから、いつまでも抜け出せずにいた。
しばらくは、サントラだけを聴いていた。
ぼくは、ポップンがだいすきです。
しばらくそんな日々が続いたが、ポップン8のしらせを聞いたときは、やはり蜜蜂のように気持ちがせわしなくなった。実際にプレイはしなかったが、ロケテにも足を運びました。
そしていざポップン8初プレイ! しゃちほこばらず、等速で『A.I.テクノ』とか、のんびりやっていましたが、すぐにあることに気が付きました。
全体的にBPMの早い曲が増えたのか、ポップくんの間隔がデフォルトで開いたのか、かなり等速ポップンをやりやすくなっていたのです。しかも、ノーマル譜面も趣向が凝らされていて結構楽しい。
あぁ、これはいいや。
なんとなく嬉しい気持ちになり、等速+ノーマル譜面でリハビリ気味にポップンを再開したのです。
無茶なハイパー譜面を叩かないようになって、しばらく経ちました。
一週間ぶりのポプと称して、『サンダーバード(H)』を楽しもうとしましたが……等速であることに加え、意外にみっしりした譜面に惑わされて、一曲目であるにも関わらず死亡。この前出来るようになって安心していましたが、まだ実力の把握が甘かったようです。
ここで はたと、ポップン8から新オプションとして追加された「サドゥン」の事を思い出しました。
従来の「ヒドゥン(判定ラインの手前でポップくんが消える)」に加えて新たに加わった、判定ラインの手前でオブジェクトが突然現れるオプションのことです。
これで、譜面のよけいな部分を隠してみてはどうか、と考えました。
(いきなりサドゥンとヒドゥンを入れ間違えて、もう一度一曲死にをやるというトラブルがあったものの)サドゥンを初めて入れたときの衝撃はすごいものでした。
第三話で登場した等速の師も言っていたことですが、等速ポップンは如何にライン際のポップくんを見れるか、という点にかかっています。サドゥンの威力は絶大で、譜面の「必要でない部分」が全部隠され、ライン際に集中出来ました。
しかも「突然オブジェクトが現れる」ということは「横にラインが引いてある」と同義であり、同時押しの見切りも大変やりやすくなったのです。
その結果、自分でも驚くほど『サンダーバード(H)』をきれいに叩けたのです!
2002年6月17日の話です。
後にアーケードゲームを扱う月刊誌「アルカディア」で、「紙貼りサドゥン(モニタに紙を貼りサドゥン状態を再現する)」というものもあることを知りました。どうやらライン際に集中するためにサドゥンを使う、というのは比較的他の音ゲーではポピュラーであるようです。
ここでもしやと思い、等速では全く歯が立たなかった旧曲に等速+サドゥンで挑んでみました。
するとどうでしょう。ミスティにクラブジャズ、バリトランスにスウェディッシュ。好きなのに、依然クリア出来ないでいたハイパー譜面の数々が、無理をせずともクリアできるではありませんか!
恐いぐらいだった。そして、ここではっきりと解った。
「サドゥンは……等速プレイヤーにとってのブースターなんだ!」
心の天秤が
水平に戻ったような感覚だった。
好きだから選んだ等速の道なれど、心のどこかで強烈な不公平感を倍速ポッパーに抱いていたのだ。だが、ポップン8から導入されたこの「サドゥン」のオプションにより、ついに「等速ポッパーも」強力なブースターを得た。
目指す面白さの質を変えることなく、ブースターのあるなしを選択できるようになった。
どういう遊び方を選んでもブースターが用意されているのなら……等速ポッパーと倍速ポッパーの間に差はなくなり、後は単に個人の技量の問題だけとなる。
1:1
今ならば
「クリアラーなん?」という言葉とも、ようやく真っ向から向かい合えそうな気がする。
まだ完全な回答は出せないし、「がんばってポップンをしている人」と「クリアラー」の違いも上手く説明出来はしないけれど……クリアの可否にオプション、ブースターのあるなしが関係しないようになった今、問われるのはもう当人の姿勢だけなのだ。
後はからだで示すしかない。
今ならば
誰とも同じ気持ちでポップン8に
そして、来るべきポップン9の前に立てそうな気がする。
<了>
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